デンキブラン
今日
おとんが東京に来た。
出張らしい。
浅草のホテルに泊まるらしいので
夕方、雷門に集合。
私はおとといまで締め切りに追われ連日深夜帰り。
昨日もその残対応に追われ、疲れていた。
なので今日は代休。
こないだお母さんが電話口で、父の上京&私が会うことになってることについて
小声で「ちょっと嫌でしょ?笑 おじさんの相手しないといけないのなんて嫌だよね?」と言ってきたけど、「まぁいいよ、たまにしかないんだし」と答えたけれども、
内心全然嫌じゃなく、ちょっとだけ楽しみにしてた。
父と1対1で会うのはなかなかないから。前から仕事の話とか、ちゃんと聞いてみたかった。
工事中の雷門の前に立っていたワイシャツ姿のおとんは
また髪がちょっと薄くなった感じだった。
よっ、と右手を挙げて近づいたら、
おっ、という顔をして「雷門は工事をしているよ」と見たら分かることを鹿児島弁のイントネーションで言った。
せっかく浅草に来たので、明後日、友達と着物遊びをするのでその小物が買いたかった。
「ちょっと買いたいものがあるから見ていい?」と言って
仲見世通りを歩いて目当ての呉服屋を物色した。おとんは外で待ってた。
帯やら草履やら小物を選んだら結構な金額になった。
まー、ずっと着れるからいいかなと思ってえいや、と払っていたら
ちょうどおとんが戻ってきて、私が払うのを見ていた。
あちゃー、見られちゃったな、と思った。
店を出て、「ちょっと高かったな」と言ったら
「すごいね、そんな金額をポンと出してしまうんだね」と父は言った。
古い商店街を歩きながら「父の日のプレゼント、何がいい?選んでよ」
と言うと、カバン屋さんの店先で「これにする」と安売りのバッグを選んだ。
さっき呉服屋で払った金額の10分の1以下のバッグ。
「え、バッグなんかいつも持ってないじゃん、どこに持っていくの」
「天文館とか。最近はバッグを持ってるんだよ」
「ふーん、もうちょっと良いのにしたらい…」言いかけて思い出した、前に昇進祝いに私があげたちょっと良いネクタイを、もったいなくて使えずにしまってあるという母が言ってた話。
「まぁ良いのだと使えなくなるからいっか、これで」
「これならペットボトルも入りそうだよね、明日の日光もこれで行こう」
レジで私がお金を払って、バッグが入った袋をおとんに渡すと
「ありがとう、お母さんにまなちゃんに貰ったって教えてあげよっと」とすごく嬉しそうにしていた。
ちょっと歩くともんじゃ焼き屋があったのでそこで食べることにした。
メニューに写真が載ってた「フローズン生」を「ほーう」という顔で見て店員さんにこれください、と言うから「私も」と言った。
「普通のと、黒ビールとありますが?」私「普t」父「一つずつください」。
ビールが来て、私は普通のが良かったので黒を渡したら、案の定、一口飲んでから「これ美味しいよ飲んでみてん」と渡してきて回し飲みを余儀なくされた。
明太子もちチーズもんじゃを焼きながら、「なにしに東京来たの?」と聞くと仕事の話をちょこちょこ教えてくれた。
小さいコテで食べるもんじゃは思いの外美味しくてビールが進んだ。
「お好み焼きとも違って不思議な味だね」とは言うが父もご満悦。「焼くのが上手だったから美味しい」
お腹が落ち着いてきたらおとんが「デザートでも食べる?」と言った。
メニューを取ろうとしたら「ここにはないんじゃない?」と言ってきたのでああ2件目に行きたいのか、と分かった。
「神谷バーに行ってみる?」というと嬉しそうに、「おぅ、あったよね来るときに。デンキブランって言うのがあるんだってさ」と乗ってきた。
「デンキブラン?なにそれ」
もんじゃのお会計はおとんが払った。
伝票をなんども確認するおとんに、後ろから「そんなもんだよ」と声をかけた。
世の中的には「安定」と言われる仕事に就いて、年齢相応な立派な役職にもあるのにもかかわらず、おとんは貧乏性だ。
『大正時代に流行した文化住宅・文化包丁などの「文化…」、あるいはインターネットの普及につれて流行した「サイバー…」や「e-…」などと同様に、その頃は最新のものに冠する名称として「電気…」が流行しており、それにブランデーの「ブラン」を合わせたのが名前の由来である。』とWikipediaには書いてあった。太宰治の「人間失格」にも出てくるカクテルのことらしい。ピエール瀧の顔が一瞬浮かんだ自分の乏しい思考回路。
ビールをチェイサーにしてブランデーを飲む、というすごい飲み方を店が推していたので生中1つとデンキブラン2つ、おつまみを2皿をレジで注文。すると、食券が渡された。
神谷バーは混み合っていて活気があった。
電車の広告で見たときはこ洒落た薄暗いバーをイメージしたけど全然違って、テーブル席がたくさん並ぶ、わいわいしたビアホール、という感じだった。
「なに?元々知ってたの?デンキブランって」
「うん、なんで知ってるんだろう、漫画で読んだかな」
アルコール度数30%に乗せられて、お互い饒舌になる。
父は中学校の校長。
「先生になったばっかりの頃は、やりたくないことは無理してさせる必要ない、
音楽も長距離走も数学も、やりたいやつがちゃんとやればいい、って思ってたけど、
今はそうじゃない、嫌なことでも無理にでも、やらされてやってみて、好きになったり得意だって気付いたりするんだから、機会を与えないとダメだ、って思うようになったよ」
「昔のそろばんみたいに、プログラミングをさせた方がいいよ。世の中の仕組みがわかるようになる。発達段階に合わせた学習ツールもあるんだよ」
「うちの理科の先生にやらせてみるかな」・・・
この歳になっても周りの意見を取り入れて、教育をより良くしていきたいという思いに触れて、
頼もしく、ちょっと誇らしく思った。
自分の仕事の話もした。
数人の部下がいること、採用の仕事も関わっていること、自分の会社のビジネスモデルと存在価値。
酒も手伝っておとんは興奮して、
「ほーぅ、すごいねぇ。そんなにすごい仕事をしてるんだねぇ。初めて知った。お見それしました」と言った。
高校生の頃、進路志望でより偏差値の高い県外の大学に行きたいと言うと怒ったおとん。上を目指すだけなのに、なぜそんなに怒られるのかが理解できなかった。
その数日後に、「あれは自分のエゴだった。自分の道は自分で決めなさい」と頭を下げて謝ってきたおとん。
それから私は、福岡に出て、東京に出て。
ぼーっとして、中・高と特に将来やりたいことも分からず、
「将来の夢」を書かないといけないときにはいつも、母が「これが良いよ」と勧める「安定できる仕事」を何も考えずに書いてた私が。
あの日から、ちょっとずつ自分の頭で考えるようになって、行動を決めるようになって。
社会人になって仕事をする中でさらにアウトプットとフィードバックの機会が増えて思考の幅が広がって。
楽しいことが起きることを待つんじゃなくて、自分から作っていける、自分から楽しみにいける、そんな実感が今あって。
昔はただ流れているものを見てるだけだったドラマや漫画も、その面白さが分かるようになって。「自分はこれが好き」と心から思えるものが分かるようになって。
仕事は苦しくて辛くて行きたくない、と思うこともあるけれど、それでも前に進もうと思える目標があって環境があって仲間がいて。
おとんは「中」にしてはデカい生中のジョッキを片手に「仕事、楽しいか?」と聞いてきた。
「楽しいよ」と答えた。
目が熱くなって、ぼやけたので慌てて下を向いて答えた。本当は目を見てはっきりと答えたかった。
すごぅく、心配してくれてるの、今は分かる。
ほんとは近くに居てほしいって、知ってる。
「親としては、楽しく健康でいてくれるのが、いちばん」
なぜか手を差し出して握手を求められたので、そっと手を添えた。
「そろそろ行くか」と言って地下鉄に潜る階段の前で、じゃあねと言って解散した。
神谷バーでおとんはしきりに、周りを見渡しながら「所ジョージの笑ってこらえてに出てくるハシゴ酒の人はいないのかな、いそうなところだ、いれば良いのに」と言ってた。
年齢相応な立派な役職にもあるのにもかかわらず、おとんはミーハーだ。
でも確かに今日は、スタッフがいてくれたらちょっと良い話ができた気がする。